D diary

不定期更新ブログ

2018→2019┃0→1から学んだこと

2018年5月に日本帰国、OUTPUTすることにより自己成長速度を高めようかと。
実に2年ぶりにブログを更新、今後も引き続き読み手を意識しない文章を書こうかとw。

今回は、18年5月に帰国して0から立ち上げた事業で感じたことを記録。

 

中国で学んだ(感じた)事との相違が中心。
何故相違が生まれたのかは、まだ確証はないのだが、
これから将来の決断の際に役に立てばと。

 

1. 事業が生まれて3ヶ月間で思ったこと

a. 事業計画段階 / リーンスタートアップのセオリーに則ると顧客との対話から
 平均300回のピポットを行い、収益性のある事業を作り上げていく。

 また、「起案」「検証」「拡大」「スケール」(← 自分のイメージ)
 それぞれのステージをどのように進めていくかは非常に重要な経営判断になる。

 

b. 上場企業などでサラリーマンをやっていると、「起案」段階は通過しているもの、
 キャッシュポイントの検証が充分ではないまま、とにかく拡大させて行く事だけに
 しか頭が行かなくなる場合が非常に多い。
  → B to Bビジネスに置いて、事業責任者(社長)が現場(顧客)の声が分かって
   いないというのは論外。設立当初は、職場でのレイヤー関係なく現場に行き、
   ニーズと解決策、場合によっては市場規模に合わせて、戦い方を大きく修正を
   していかなければならない。


c. bの過程を経て、市場ニーズに合わせて提供する解決策(サービス)の再現性を
 生み出し人員を拡大していくのが理想的。
 ただ、ある一定の再現性は生み出しても、顧客の声や市場のニーズは常に変化してい
 く為、再現性というよりは軸がブレない範囲で多いにピポットをする事を推奨する
  スタッフへの権限の委譲も重要になってくる。


d. 譲渡された事業で、赤字事業を継承された場合。P/Lの見直しは必須。
 ここで注意しなければならないのは、「やらない事」を如何に決断できるか。
    「社内リソース(業務熟練度)」「社外リソース(委託で済むもの)」「市場機会」
 「競合もしくは、同カテゴリー他社の事業進捗状況」などで決断をしていく必要。

 

2. プレイングマネージャーの限界?

「誰に」「なにを」「どのようにサービス提供」をして利益を最大化するか。
もちろん事業規模・フェーズによって見解は異なると思うのだが、
どこの企業もマネージメントに専念できる場合って結構稀有なのではなかろうか。

成熟産業で、収益パターンも型化されており、社内の教育マニュアルも充実していて
ほっとけば人事やメンターに当たるスタッフが新人を教育してくれるという環境が
あればありますよね。

3. スタッフは性善説で接する?性悪説で接する?

そもそもこんな質問をしたら、みんな性善説で接します。って回答すると思う。
要は管理の仕方自体にポイントがあるわけですね。

a. マイクロマネージメントは管理しているようで、相手に不信感を与える。 

  数時間おきに業務の進捗を報告を義務付ける。進捗を遅れるとその場で課題・解決策
  を求められる。そのやりとりをしているだけで、また進捗が遅れる。
  お互い不毛感を感じ、被管理者は代替2週間で人格崩壊。なんて現場をこの1年で
  結構見てきた。実際に自分自身もマイクロマネージメントを受けると本来の業務目的
  に対する自主的な思考が強制的に削がれ、奴隷化していく事に嫌気がさした。

b. ゴールと達成手段に合意を得たら、期間を設けて黙って見届ける。

 デイリーでの簡単なコミュニケーションで、方向修正ができるような情報共有ルール
 は確率していく必要はある。

 

c. マウントをとる会話

  コーチングというい事が世に広まっているが、テクニックに走るのは用心。
  相手よりも上のポジションをとり、優位性を自慢したり威圧的な態度をとったりする
    ことが少しでも出てしまうと、建設的な意見が部下から上がってこなくなるし、
  信頼関係を気づけなくなる。

 

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【最後に】

2019.09.29 段階の所感。
僕も海外支社副社長やったかと思えば、いきなりマネージャーに降格、平社員やったり、色々と会社に翻弄されている状態で、見えてきた気づきの中で、より価値のある企業・組織作りをしたいと考えています。

経営者の成熟度がその企業を反映すると言います。
実際に起業の成功率は40歳前後が高いとも言われてもいます。

目標に向けて進むだけですね。

 

2016年12月31日memo

海外生活にも大分慣れてきて、12月で仕事の年度も終わる今日、大晦日。

 

2016年は自分のキャリア形成の大きな肥しになった年

  1. 死んでも守れ中国人の面子
  2. やらない事を決める
  3. 主役は現場
  4. 企画3割、運用7割
  5. 運を支配するということ

 

1. 死んでも守れ中国人の面子

もともと建前と本音を分けて話をするし、教養のレベルもかなりバラバラ、

もちろんバックブラウンドも自分の想像を超えてくるので、

「常識」なんて概念なんてある前提で生活をしていると気がおかしくなってしまう国。

 

ルールなんて有るようで、無いような場面もある中で、

やはり根底にあるのは、個人間で如何に関係性を作れるかがかなり大きい。

結局はこれに始まり、これに終わる気もしている。

 

関係性作りの中で、絶対に守らなければならないのは面子(特にこの国)。

対面する人間だけではなく、間接的にも影響を与えてくる、

相手の品位を傷つける発言は会社内・外問わず自分の品位も下げる。

関係性は血管の様なもの。

 

苦い経験ではあるが、大変勉強になりました。もう経験したくない!!

 

2. やらない事を決める

仕組みを作る事、己の力量に依存しすぎる企業はスケールしない。

仕事の下流工程から段階的にやらない事を増やしていく。

  • 2017年中に、通常PR業務は発注から納品は全て現場スタッフに権限を委譲
  • 基本的なクライアントとの調整業務はやらない
  • クリエイティブ案件のみ、陣頭指揮をとって進める
  • 提案資料の制作もやらない
    (フルで書き上げる資料は既に無くなったので、企画コンセプトの書ける人材育成)
  • 営業が結果を出しやすい商材の開発
  • 営業リスト作りの活動
  • モチベーション向上の為のルール作り
  • セミナー(社員教育)の実施

3. 主役は現場

2.の話題と根本は一緒なのだが、現場の子達が自分で判断して、

達成感を感じてもらえる仕組みを作る事が非常に大切。

 

自分が現場に介在しなくても、部下が自分の会社のブランドを背負って、

新たな会社の顔となり、お客様に喜んでいただける状態。

 

そしてこの考えを持つマネージメントスタッフをどれだけ増やせるかが

非常に重要である。

そういう意味では、マネージメントスタッフにはマネージメント技術はもちろんだが、

根底に経営者意識を芽生えさせる事が非常に重要なのだと感じる。

 

4. 企画3割、運用7割

人は何に心を揺さぶられるのか、「行動の結果」に対して感動を与えるのではないか?

志がいくら高くても、行動が伴っていなくては、口だけと言われたり、

信頼性は気づく事はできない。

 

仕事はお互いの信頼関係で創造されるものである。

面白い事を考えらえるだけではお話にならないのである。

 

とっても当たり前、だけどこの運用部分を毎回120%に持っていく事がとても難しい

・人材の問題

・仕事の量

・プロジェクトの難易度 / 習熟度

・外的な要因

 

スタッフのミッションの明確と何が「プロフェッショナル」なのか。

行き着くところはやはり人材教育になるのだと実感した。

 

5.運を支配する

物事の引き際、欲に囚われてないか、驕っていないか。

流れを読んでいるか、読もうとしているか。

達成した目標や過去の成功体験に囚われていないか。

自分が何者なのかを客観的に把握できているか。

 

来年も気を引き締めて行こうと思います。

2015年4月のメモ

相変わらずテーマがブレブレで困るのですが、何かをしていないと変な不安感に襲われるのでブログは昔のように書こうと1年ぶりに。

■家族が2名いなくなりました。

4月1日;祖母 他界、4月10日;後を追うように父親 他界。

僕が親族の目の前で初めてスピーチすることになったのは、結婚式や何かの受賞式の様
な、輝かしいものではなく、父親の葬儀でした。


4月3日身内で密やかに葬儀をあげることになった祖母の式。この時代には珍しく、子供を沢山つくるいとこたちの参加で、小さい子たちが駆け回るなんとも、気の紛れる(不謹慎な?)葬儀になる。1週間前にいきなり延髄梗塞で倒れる父、生死の境を彷徨いながらも、僕らの声に反応する父。祖母のことなんて報告できるはずもなく、人工呼吸気で、苦しそうな父をみて、立ち尽くす自分。こんな時、なんて言えば良いんだろうとか考えていたら面会時間終了。

この時点で、「ヒロは私の自慢の孫よ。」といつも言ってくれていた祖母の他界もあり、頭真っ白よ。


4月10日。父、他界の連絡を受けて、翌朝一の便に飛びなり、上海→東京→茨城へ。

帰りの電車、父との思い出の記憶を掘り起こしながら、あまり親子らしい会話しなかったなぁと。

精神病であった父、まともに会話にならねーよ。
と思いつつ、いつか色々わかる日が来るのかとか、おかんに怒られながらも何だかんだ
やってるんでしょ。とか思ってたけど。あまりにも急過ぎて呆気に取られた。

 

■親父の遺品整理

日本滞在が限られているので、親父の遺品の整理、財産関係の整理・判断。1週間でほぼ
済ませるという。。故人のモノを他界してすぐに処分するって、、不謹慎かもなと思いつつ、いつも水戸にいれないので、割とドライに整理をした。

驚くことはたくさんあった。

読んでた本が被りすぎ。聞いてた音楽被りすぎ。

デールカーネギー村上龍やらビートルズやら、これメッチャいいよね!と酒飲みながら語れるもんばっかり。母親じゃなくて、妹でもなくて、自分の手で色々整理できて良かった。
あまり思い出がないと思っていたけれど、繋がりができた気がした。
同時に後悔が初めて生まれる瞬間だった。

■義理の伯父の涙

話はもどってスピーチの話。頭真っ白状態であったため、僕のスピーチは至ってシンプル。
祖母のこともあり、可哀想だなと思っている方も中にはいらっしゃったと思う。
それはそれで本当にありがたいお心遣いだ。

スピーチの中にもあったが、水戸に残る母親を頼みます。と

祖母の死と親父の死、同じ長男坊で早くに両親を無くした義理の伯父が
僕をそばでよく見てくれた、助けてくれた。その彼が、シンプルなスピーチの中で、俺と親父の関係性に胸を痛めたようで、嗚咽を漏らして泣いてくれた。


前述の通り、父親とはあまり会話をしなかったので、
でもその伯父が泣き始め、静まりかえる場の中で、僕の中で何故か生まれたのは焦りだった。

僕は残された母親や妹と、ちゃんとコミュニケーションできてるのかなと。普通にあるべき家族の姿をあまりに無視し続けている気がして、なんで俺生きてるんだっけ?必死こいて上海にいるんだっけ?というレベルで猛省の気持ちが生まれた。

お恥ずかしい限り、海外の人が家族をものすごく大事にする気持ちが初めてわかった。
どんだけガキなんでしょ私。。

■30代は海外で

基本的に変えたくない方針である。
ただ、環境が変わった。というか気づかされた。自分本位すぎる全てが。

家族のために生きるって普通なんだと初めて気づいたのでした。

「俺人間だったわ、ぼーっとしてた。」


海外での仕事の他に、家族のいる水戸で何かを始めたい。
という気持ちも芽生えている。「ミトアトリエ」2年後始動に移したいなと。

中国インターネット検索について

色々な情報があり、個人的に中国に入った時に一番困ったのがこの分野だった。
どこに話を聞きに行っても、みんな言う事が違う。

 

なので、実際に中国の現場で働く者のしてメモ。

 

中国の検索エンジン事情2014年5月情報;百度<baidu> TOP

噂には聞くけどその通り、百度が圧倒的。

<シェア>

1位 baidu;約58%
2位 360捜索:約25%

 

色々言われるけどSEOは確かに存在する 

検索の仕組み/画面構成そのものは
googleのスペックと比較すると・・・

 

ビッグワード 1Pはほぼリスティング百度の自社コンテンツ

検索数の多いワード。たとえば「化粧品」「携帯」とかは
(実際はもっと戦略的に設定するけど。。/もちろん中文で。)
 1Pはほとんど、百度の自社コンテンツで占められる。

 SEO枠は2~3枠のようだ。ただ、7~9・10位。

 

コンテンツ価値で掲載順位が決定されていくのが2P以降。
 「・・・」(笑)。

 

少々ニッチワードになってくると自然検索の枠も増えてくる。

なので、インバウンドマーケティングという概念で
ウェブマーケティングを実践する事はできる。

 

とは言え、というのがあるからややこしい。

SEOとう存在や仕組みはあるにしても、
結局お金でなんとでもなってしまう。

 

ここが、色々とネットマーケの会社の利害関係で
説明の仕方が変わるし、担当としては色々困ってしまうポイントに
なっているのだと思う。 

 

結局、SEOなんて存在しない。と言ってしまった方が楽なのである。

 

中国インターネットユーザー

ネットに対するリテラシーやその生活への根付き方は、
恐らく日本以上、もしくはそうなるポテンシャルは感じる。

特に90后世代は驚くほど価値観と生活スタイルが私の様な30代日本人と
違う事が本当に多く、ネットを活用した情報取得方法は巧み。

また、メディアから得る情報は基本的にすべて懐疑的。
国営放送をどの様に見ているかというのが象徴的だ。
(話が変わるのと、色々と怖いのでこれは後日。。) 

なので、SNSを活用したマーケティングも盛んだし、
確かに利益を生み出すツールとなり得るのも納得。

と言いつつも、中国人のインターネットの利用用途
1位 インスタントメッセージ(wechat , QQ)
2位 検索

懐疑的だと言いつつも、使ってない訳ではない、
一応、見る事はみている。というのみ、ミソなんだな。

インターネットに関わらず、メディア事情は今後memoしよう。

Restart @ beijing

いつもマイペースに

いつも始める問いってすぐ休止してしまう、

僕のブログあまり焦らずに更新しようと思う。

 

中国で生活を始める

僕は1ヶ月ほど前から中国は北京で生活を始めた。

おそらく自分の経験する中では一番大きな環境の変化だ。

生活環境と所属会社が変更になり、

転職して外国にきたようなものだから。

 

中国に何をしにきたか

一言でいうと“チャンスを掴みにきた”という意識だ。

何をチャンスだと捉えるかというと

  1. 語学力
  2. 成長市場でのビジネス
  3. PRを思う存分できる
  4. 経営者視点と実践

が今の所の中国に僕がいるメリットだ。

 

1. 語学力

言わずもがな、ここは外国。外国語を使わなければ

生活ができない状況。赴任期間中にどれほどものにできるかが、

今後の自分の未来を大きく左右するのだと思う。

(自戒の意味も込めて此処に綴る、英語もね。)

 

2. 成長市場でのビジネス

僕が社会人になった2007年、日本の景気こそ最悪ではあったが、

成長産業であるITとPRの業界で毎年倍成長を経験してきた。

中国もGDP世界第2位、人口・国土の問題もあるのだろうが、

この街・人・ビジネス進め方・考え方・国の制度の作り方

アクセルを踏んでるこの国とともに、Public Relation and Internet Technologyで

どこまで結果を出せるかがわくわくする所だ。

中国の上場企業も半分が赤字、光と影が渦巻くこの国で、

ビジネスできる事がとても嬉しいと思うんだ。

 

3. PRを思う存分できる

それでは、いままで今までやってきた事は何なんだと言われると、

PRなんですが、変なグループ間バイアスもなく、

本当にお客さんのためになるプランを適正価格で提供できる

状態にあることは非常にいいなぁと思っている。

 

4. 経営者視点

ここは海外で働く日系企業の日本人であれば、

さけられない道、収益計算や人事、組織、マネージメント

自分が折れたら組織が壊れるという危機感と視点で挑戦できる事が、

非常に刺激的であり、ありがたい。

 

色々いうけど、結局は結果

もう過去の記事にも散々書いたけれど、

寝ても覚めてもこれがすべての前提になる。

基盤になる。

 

企業担当者の対応に、傷つくこともある、

逆に心から感謝する事もある。

お客さんに育てられる仕事である。

決して悪い意味ではないが、人を選ぶというのも忘れずに、また北京で挑戦するのです。

 

 

 

 

 

Where is my life? の続き

My 20's goal =

 

× 地位を得ること

× あの部長の広い机と、ふかふかの椅子にすわる

× 平社員よりも少し高い給料をもらう

× ステータスを得て、もてる

 

○ 1億を売るということがどういうことか経験してみる

○ 自分のいる組織が上場することがどういうことかを経験してみる

 

Job is my Joy, and my everything as 20's.

I'll set next goal. get the glory !

Philosophy is important. “Think Simple” is my motto.

シンプルに物事をとらえるということって、本質を見抜くということに

近いと思う。

 

直ちに物事を理解し、わかりやすくアウトプットすることは、

クリエイティビティが介在しているのだと思うのです。。